パルメザンの感想記事まとめ

ストップモーションを使用している作品や、アートアニメーション、映画、映像作品の感想、解釈、妄想などを自分用に纏めるためのもの。 ここと同じ趣旨でやっているTwitter→@QNpzcHeyiagTnVV

押井守&天野喜孝「天使のたまご」〜究極の「雰囲気を楽しむため」のアニメ映画

(※アートアニメーション感想と書いていますが、ブログのジャンル表記を増やしたくないので、あくまで便宜上。本作品は、世界観や雰囲気、背景美術や演出がとても研ぎ澄まされていて、そこが素敵でアーティスティックだととらえる人もいるでしょうが、制作側が、アートアニメーションとして制作した訳では無いと思います。(自分は))
Amazonプライムに入る前々から作品を鑑賞していたが、この度Amazonプライムビデオから見られなくなるというので、ついでに見て感想をしたためる。
※こんな感想見るより、本作のWikipedia見た方が、各媒体に掲載された情報がまとめられて分かりやすいです。マジで。

〜究極の「雰囲気を楽しむ」ためのアニメ映画〜
この言葉は、世の中では大体いい意味で使われてないと思う。
中身や、処世訓や教訓がないとか。
(なんか教訓を得たりとか、「泣ける!」とか特定の感情状態になるため「だけ」に作品見るなんてクソ喰らえだと思ってるけど)

でも、このアニメーションは押井守監督が自ら、そういうものを目指して制作した節があって、(曰く、物語以前の何かを、表現のみで成立するアニメを実現しようと試みた、(Wikipediaより引用)らしい。
だから、この言葉はこのアニメに関しては、肯定的に受け入れてもらえると思う。
(こういう時にWikipediaからしか引用元がないのってどうなんだ)

冒頭、卵とともに眠りについていた少女が目覚める、その卵は一体何なのか?なぜ少女は、卵を持っているのか?本当になんの説明もないね。
これは、押井守監督が子供の頃お母さんに、
「女の人は生まれた時からお腹にたまごを持って生まれてくる」と教えられた事から、発想したイメージ(これもWi略)らしいので、まんま、女性が女性として生まれ落ちた時から体内にある卵子の事なのかなぁ(これもWikiに書いてあるね、意味あるのかこの感想)
個人的に、男性の精子は成長してから作られるが、女性の卵子となる細胞は、元々備わっている、という違いになんか気持ち悪いと思った。
女性が妊娠する前提なのが、体から勝手に約束されてるのが、なんかうへーって

ちなみに哺乳類は体が形成される時は、全部メスで、その後いくつかはオスに変化して生まれてくるらしい。(ジェラシックパーク知識)

この女の子、世間一般的に言う美少女ではないが、あだっぽさというか、妖艶さがあるのに可愛いよな
髪ボサボサだけど、こんな荒廃した街にシャンプーやリンス、ヘアオイルなんてないもんね・・・
なんか、この子設定としてお母さんやお父さんは死別して既に居ないとかなんだろうけど、それを抜きにして、いきなり世界にポツンと「少女」というか弱さ、はかなさ、耽美さの存在そのものとして現れた感じがあるんだよなー
それこそ神様に作られてぽっと誕生した天使みたい
(ていうかこんな雰囲気ある幼い子が一人で歩いていて大丈夫なのかとか考えちゃう)
天野さんのキャラデザの凄さよ

この水を貯めてるビンは、まんま子宮の象徴だろうなぁ形もそうだし

この戦車どう見ても男性器の象徴・・・、勇ましく男性性に溢れてるもの、弾(精子)が出てくる棒状のもの。(なんかフロイト先生みたいになった)
少女の方に重砲を向けながら、何台も通っていくのは、処女や年端もいかない女の子に凶器ともいえる性欲をぶつける男が、世の中にはいっぱい居るってことかな

戦車から降りて青年登場、なんか戦車の配線が生き物の触覚みたいにピクピクしてる、やっぱちん(ry
戦車から降りて、少女と同じ目線にまで降りたのは、この時点では、少女を性欲の対象として見ていない、同じ立場の一人の人間として見ている、ということ?
(あくまで自分の感想だが、深読みしすぎてる気が)

ビンの中に残された、赤い液体(赤い木の実を絞った飲み物かもしれないし、赤い塗料かも)を捨てる少女、生理の暗喩だろうな。
街灯の光に水の中の空気が向かって行っているように見えるシーンは受精かな
何でこの子は、水をビンでしか飲まないんだろ

ジャムをやたらと艶めかしく食べるねぇ、栄養足りてるのかしら
この子はなんで誰にも教えられてないのに、たまごは暖めるもの、と分かっているんだろう
水の波紋の反射が、影となって少女に写るシーン幻想的で大好きだー

青年、卵大事なものなんだからお腹に大事にしまっときなよー、はお年頃なんだから、(君をいやらしい目で見る奴もいるんだから)気をつけなさいよ、的な?
少女なら抱えるほどの大きさの卵を、青年が片手で差し出して、少女が自分でスカートを捲りあげて、卵を服の中に仕舞うシーン、ちょっとフェチズムを感じる

卵の中身は割ってみなければ分からない、痛みなくして得るものなし、みたいな諺外国になかったっけ
青年は、クソデカ戦車から降りてきたけど、自分の剣(これも男性器の象徴?)は手放さないんだね
作中だと、治安も悪そうだから護身用なのかもしれないが

ついてきちゃだめ!という割にどこか嬉しそうな少女の顔、可愛いけど、なんかつれないフリして男を誘う女じみてきたな
なんで青年はビンの中の水を飲まない?

雨が降ってきて、青年の方を振り返る少女、
青年、入るかい?みたいに自分のマントを翻す、
少女、つんっとそっぽを向く
魚を追う大勢の男達に怯えて、青年のマントの中へ、あっと思い青年から離れようとすると、青年は少女の肩へ優しく手をかける
少女、安心してニコッと微笑む
可愛いい可愛いぞ

魚ってキリスト教のシンボルとして捉えていいのかな
魚、なんでよくあるシルエットじゃなくて、古代魚(シーラカンス)の姿なんだろう
もう(絶滅して)居ない、影、集団で追う、「魚なんて、どこにもいないのに」という少女のセリフ
皆、太古の昔に失われたものが復活して欲しいという、妄想を見ている?
魚、捕まるどころか、男達の無茶な捕獲行動によって街が破壊されるだけ

教会の中で光に包まれる少女、受胎告知かな?
こういうアニメーションには珍しく、成功、妊娠、出産、生命の神秘を辿る〜みたいなかんじじゃなくて、結構時系列バラバラなんだよね

魚の形に残されたステンドグラス、真実はあるということ?
押井守監督ってなんか鏡すきだよねー
捕まえられもしない影の魚を追う男達と、鏡に移る自身の姿を見て微笑む少女、(イマジナリーフレンド?)醜い現実に生きる大人と、夢と空想に生きる子供との対比を入れたかったんだろうか

serial experiments lainのレインちゃんといい、片方だけお下げの髪型って、なんか惹かれるなぁ。
レインちゃんは、幻聴を防ぐために片耳を隠すようにおさげにしてたけど。

隧道、胎内巡りみたいなイメージ?
GITSもそうだけど、生命の木、カバラ的イメージ大好きだよね監督
「忘れてしまうほど遠い昔」というセリフで何故か、この青年は彷徨えるオランダ人みたいに、寿命で死ねず歳も取らずに、ずっーと旅してるんじゃないかと思った。
青年の手、布まいてるのは何かの怪我?剣を握るため?と思ったけど、もしかしてこれ釘打たれたあとじゃあんめーな
階段に沿ってビンを置いたのは少女の仕業?
なんか、子供の遊びと言うよりは、罪を贖うために延々と置いてるみたい・・・
「集めたビンの数だけいるのかな」首を振る
他の人が置いていったビンを真似して、少女も置いている?

出た!押井監督お得意の胡蝶の夢表現!
本当は僕達は存在なんかしていなくて、もっと別の大きな何かの見ている一時の夢に過ぎないんじゃないか、それを自己と同一視しているから・・・ずーっと手を替え品を替えそれが根底のテーマにあるよね
それを病んでる考え方だ、腹いっぱい暖かい飯食って寝ろ、みたいな時なさそうこの監督は(褒めてるよ)
そういう作品があることで救われる命が今ここにあります。

あえて、動きと表情と声の演技を少しずらしてんのかな
天使って、実際にいたら姿は綺麗だろうけど、骨になったら怪物だよね→実際に怪物でしたみたいな感じなのかも
青年この生き物大っ嫌いなんだろうな
(おれも山尾悠子女史の作品から、天使や人魚には不気味な怪物のイメージしかつかなくなっちゃった)

少女が卵にする仕草に、それは外の風の音だよ〜とかいう青年の言い方、完全に意地悪なニュアンスを含んでいる。
やってたらできちゃって、反対されても産みたがってる彼女を見る時の、彼氏の目付きじゃん
いつまでそんなもん抱えてんだよ的な、

「貴方はだあれ?」「君は誰だい?」ここに来て急に日本神話の国産みみたいになる。
女の方から声をかけているので、生まれるのは・・・
おっさん達って石像だったの?
あ、これ剣の鞘じゃなくて十字架だわ、さんざ見てるのに今更気づくとか
卵を割るシーン、前までは、ゴウカンや破瓜を意味するのかなって思ってたけど、今みると堕胎を強制するとか、暴力を振るうとか、(肉体的にも精神的にも)力で従わせる、というようなその他ありとあらゆる、男が女にできる酷いことを全部含んでいるのかなって

ここの「あなたはだあれ?」はあたしの知っている人は、こんな酷いこと出来ない、しない
だから貴方なんて知らない、知りたくもない、かな

また鏡合わせ(片方は大人)、その自分と口付けをする。イノセンスのOPに近くなったね
少女は、(破瓜か現実と相対する)痛みを知って大人へと変貌する。男と女に別れた人間が、完全な1人(雌雄同体)になるイメージもあるような。
街にいるのは男ばかりで、眼球状の不気味な機械?太陽?祭壇の上にいるのは女ばかり
その上に、少女の姿の石像ってことはあの女の子の小女性というか、子供の部分はもう死んじゃったってことなのか

大地の形が方舟型・・・「ノアの方舟が陸地をみつけられずに」、中の人間や動物の数が増えていってしまって、ずーっとどんどん大きくしていったのかな

少女と青年の存在も、出会いも、世界のシステムに予め組み込まれているんじゃないかと思った。
映画に娯楽性や、最低限きちんとしたストーリーが読み取れる作りになってないものは見たくない、という人にはまったくオススメできない。
むしろ、映像作品というものは、キャラが何らかのストーリに沿って、動きや感情を示すというのが大前提な現実世界なんてナンセンスだぜー、夢と現の境界が大変曖昧な作品がだーいすき!な人間にはとてもオススメできる。
高尚な雰囲気を出しているが、独りよがりなオタクが好む代物でしかないのでは、と言われたらそれまでなんだけど、こういう作品も世界にあってもいいじゃない、それが豊かさってもんだよ。
いつかちゃんと「少女季」を読んでみたいな