パルメザンの感想記事まとめ

ストップモーションを使用している作品や、アートアニメーション、映画、映像作品の感想、解釈、妄想などを自分用に纏めるためのもの。 ここと同じ趣旨でやっているTwitter→@QNpzcHeyiagTnVV

「キリクと魔女」の魔女カラバの背中に刺さっていた「棘」についての個人的な考察※ラストまでのネタバレあり

※本文中には、ミッシェル・オスロ監督の劇場アニメーション作品、「キリクと魔女」のラストまでのネタバレが含まれます。まだ本作品を視聴したことがない方、ネタバレを踏みたくない方は、ご注意下さい。
本作品は、DVDやBluRayの取り扱い、Amazonプライムビデオなどでも販売、レンタルがあります。未視聴の方、興味がある方は、是非ご覧下さい

​────────以下ネタバレ─────────


主人公である、小さいけれども勇敢なキリクは、おじいさんである森の賢者に、なぜ魔女(以下カラバ)は人を苦しめるの?と聞く。
おじいさんは、その答えに、カラバの背中には「棘」が刺さっていて、その痛みによってカラバはたいへん苦しんでいるが、同時に絶大な力(作中では魔力か)を得ている
その棘は、男たち(村の男達か、よその村の男たちかは分からない)によって、無理やり背中に埋め込まれたもの、それを刺された時に誰にも想像できないぐらいの「痛み」を味わった、その棘はちょうど背中の真ん中にあり、自分では届かない、深く打ち込まれているから、手ではなく歯でないと抜くことが出来ない、それから抜かれると、打たれた時と同じぐらいの「痛み」を感じる、魔力を失ってしまうので、魔女は誰にも背中を見せないよう、家の戸口にたって、家から一歩も出ないようにしている、と説明をする。
それを聞いて、キリクは、根っからの意地悪だから村人を困らせているのではなく、カラバも哀れな存在なのだと理解する。
(でもカラバの性格が意地悪な部分が少しはあると思う)

なぜ、このような「棘」を背中に刺されるようになってしまったのか?

この、カラバの背中に打ち込まれた「棘」について、作中では私たちが棘と聞いて想像するレベルの大きさではなく、釘と言ってもいいぐらいの大きさで、血が滴っている訳では無いが、キリクによって抜かれる。(ここのシーンの声優さんの絶叫が本当に凄かった。声だけで痛みが伝わってくるようだった)
カラバは、その場に居るだけで周囲の植物を枯らしてしまうほどの程の禍々しい力(魔力)を無くしてしまうが、今度は代わりに、美しい楽園に生えるような花や植物が周囲に咲き乱れ、(ここのシーンも本当に素晴らしい。多くの人に見ていただきたい)
お礼に口付けをしておくれと言ったキリクに、口付けをしてあげると、キリクはなんと立派な体の、大人の男へと変貌する。
そこで、キリクはカラバに対して、お前は力の全てを無くした訳では無いんだよ、と言う。

(ここから完全に、自分の解釈がかなり入った考察になります)

という事は、カラバは「棘」によって魔力を得て魔女になり、その力を悪用していたが、もともとそれなりの力があった女性という可能性がある。
以前に、それを自覚していたのかどうか分からないが、だとしたらどこかの村で、シャーマンや占い師のような事をして暮らしていたのかもしれない。
儀式によって神や精霊と繋がりその年の作物の実りや、日照りや雨が降るかどうか、天候の具合も預言する。
悪い力を失っても、美しい花が咲いたり、口付けによってとても小さいキリクが逞しい青年に成長する描写を元にすれば、元からとても強い、良い力を持っていたという可能性もあるので、占いの精度などもかなり高かったのではないのだろうか。
しかし、初めは村人達もカラバの能力に対して感謝をしていたが、カラバの占いというよりは預言じみているその力に段々と感謝や畏怖よりも、恐怖の感情を強く感じ始めたとしたら?
だんだん恐ろしくなった村人達か男たちは、カラバを捕まえて、無理やりに「棘」を埋め込んでしまう・・・
いや、これでは辻褄が合わない
カラバの力を封じるのに、余計に邪悪な力を与えてしまう棘を、背中に刺してしまう意味がわからない

①本来は普通の棘であったのが、強い力があるカラバの背中に刺されてしまったことによって、カラバはその痛みと苦しみから逃れる為に感じる苦痛を力に変換してしまった
②なにか魔法か呪力か不思議な力が宿っている棘だと知らずに、カラバに苦痛を与えてやろうと思った男たちがそのまま背中に刺してしまったら、カラバはより強力な力を得た
うーん、個人的にどれもしっくり来ないし、物語が始まる以前の設定だとしてもなんだかハッキリしなくて、なんとなくモヤモヤする

③カラバの背中の棘を物質的なものではなく、なにかの象徴やメタファーだと考えてみることにする

カラバは、大きい青年となったキリクに求婚された歳に、「お前もどうせ結婚した女を召使いのようにこき使うのだろう」というような意味の発言をしている。
キリクは、だれも召使いになんかしないよ、と言い返すが、カラバは、お前はねでも他の男たちはどうだろう、と返す。
こういう発言は、男性によって実際にそう言う目にあったり、そのような状態の女性を見た事がないと出てこない言葉だと思う。
カラバは、さらった男たちを貪り食うと噂されていた。本当は手下である使い魔の呪い鬼たちに変えてこき使っていたのだが
これは、女性や自分を苦しめていた男性という存在に対するに仕返しなのでは無いのだろうか
もしかしたら、この「棘」は男性から女性に対する
性的な暴行(複数の男性に取り押さえられて、身体に無理やり棒状のものを入れられる、という暗喩とも取れる) や、暴力的な行為、男性から女性に対する抑圧なのではないのだろうか、と感じた。
そして、その打たれた「棘」の苦しみ、痛みから逃れる為に、邪悪な力に変換しているとしたら?

(ここから先の文章は、男性から女性に対する不当な行為、行動、抑圧やましてや性的な暴行を決して肯定するものではありません)

現実には、辛い思い出(上記の()内のものに限らない)にしがみついて、またはあまりに辛いために自分を守ろうと自我の拠り所にしてしまって、歪な人間に出来上がってしまう人もいる
現実的な対処で、この痛みや苦しみを取り除く方法が分からない、(自力で棘を抜くことが出来ない)そんな時・・・
だから、私は選ばれた苦痛を抱く人間、私は高尚な人間なのだ!そう思うことで、痛みや苦しみから目のそらし、なんとか心を麻痺させて、生き長らえようとする時がある
カラバの大いなる邪悪な力はその発露なのでは無いのだろうか
だが、苦痛を拠り所にしても長続きはしない、ゆっくりだが確実に、心を蝕んでゆくだろう
無意識にいつまでも、傷つけられた瞬間の自分を反芻しているのだから
その様子が分かったら、他人に痛みを手放す必要がある、と言われる時もあるかもしれない、
痛みを手放す時、(棘を抜く)には時にそれ以上のダメージを追う事もある・・・

この解釈だと、ラストのキリクによって棘が抜かれるシーンからカラバが結ばれるくだりは、男性に傷つけられた痛みは、それ以上に立派な男性に受け入れられることで、傷が癒される、という男性至上主義的な、何も解決していない感じにも受け入れられてしまうが、ミッシェル・オスロ監督や制作スタッフが、何をどう考えて作り上げたのか、まだ本当にハッキリ分かっている訳では無いし(アートブックとか無いんだろうか)、仮に私が感じたような事を作品について込めたとしても、1998年の作品なので、制作側の方でそこまで理解が追いついていなかった可能性もある
このシーンは、個人的にはどちらかと言うと、神話、民話、御伽噺の大団円を目指す良い意味で典型的なラスト、自分以外の存在の一切を嫌い、誰にも受け入れられなかったカラバが、初めて自分を慮ってくれたキリクと出会い結ばれる幸せな結末、邪悪な存在の魔女と善良な存在であるキリクが結ばれた事で、正負のバランスが保たれ、世界は均衡を保ち(いきなりゲド戦記みたいだな)物語は終焉を迎える、といった意味を込めて描かれたシーンに見える

棘が深くまで打ち込まれていて、手ではなく歯でないと抜くことが出来ない、というのは正直よくわからなかったので、(爪よりも歯の方がくい込んで抜きやすい?)こういう事ではないのかという人の意見があったら是非聞きたい

ここまで書いて、考察や解釈と言っても、どうも自分にとって都合の良すぎる解釈をしてる気がかなりあるが、こんなところまで見てくれた親切で、かなり奇特な方ありがとうございます。