パルメザンの感想記事まとめ

ストップモーションを使用している作品や、アートアニメーション、映画、映像作品の感想、解釈、妄想などを自分用に纏めるためのもの。 ここと同じ趣旨でやっているTwitter→@QNpzcHeyiagTnVV

イギリスのアニメーターMark・bakerの作品「The hill farm」感想。〜丁寧な暮らしなんて熊の胃の中に捨てちまえ〜

田舎住まいの、農家の夫婦の起床から、話が始まる。
なんか、のどかな生活で生き生きしてるなんてもんじゃなくて、日々の仕事に忙殺されているような、 目が死んでるというか、生きている上で何も感動がなさそうな顔。

動物達(特に鶏)の動きもデザインも可愛らしくデフォルメされてはいるが、餌を食べる様子がほとんど貪る、という感じで少し気色悪い。

いや、家畜たちの草を食う動き怖いて、凄い毟ってる。周囲一体禿山になる勢いなんだけど。
生命の豊かさ云々より、食欲の浅ましさを感じる。

作者の、うぉぉぉ俺は田舎(自然)やそこに暮らす動物の、ほんわかゆったり暮らしているなんて世間の幻想を委ねるイメージになんか迎合しないぜ!とい
う気概を感じる。

いや熊でかすぎんだろ バケモンじゃん
こんなサイズの熊いたら、シャレにならねーわ
でも確かに熊の肉体的脅威感を表現するとしたら、あんな怪獣みたいな大きさの体躯になる気がする・・・

「The・village」もそうだけど、もしかして作者リアルに田舎出身だった?作品の随所から、田舎と自然と動物なんてこんなもんだよ、(なんつーかそういうものにナチュラルなイメージを持って憧れる人に冷水を投げかける感じじゃなくて)淡々と、ごく淡々と、自分の目からはこんなもんです、という、主張のように感じる。

うーん、カメラで写真ばかり撮っている都会からの旅行者?は、なにかのレンズ(物理的なカメラや他の情報媒体って意味でも、偏見やレッテル貼りを通しているという意味でも)越しでしか物事を見ていなくて、自分の目で物事を見ない人の事を風刺してるのかな
作者がもしそういう意図で入れたなら、分かりやすいをゆうに越して、雑な皮肉描写って嫌いなんだよな。フィクションで溢れ過ぎて食傷気味だし。
都会のこういう頭軽そーな人たちってこんなもんでしょ?って
認識から一歩も動いてないだけって感じがするから・・・

んー、ずかずかと森に入り込んでいく、そこに住む生き物達の領分が分からないというか、どこでも自分用に用意された被写体として見てしまっているような。

森周辺の描写とか、フラッシュで一瞬だけ写る洞窟内とかの背景美術が少しユーリィ・ノルシュティンに似ていて好きだな、細かい版画絵という印象

ばかばか猟銃撃ってる貴族(金持ち?)集団はなんなんだろう、自分の権力に酔いしれてる人?
撃つ鳥がいなくなったら従僕(?)も撃っちゃうシーン、獲物を撃つという娯楽に熱中しすぎて見境が無くなった、人の命であっても、一時のゲームなので彼らは構わない、という面もあるかもしれないが、どちらかというと、そういうシュールなギャグ描写として受け入れた。
(ちょっと、王と鳥の冒頭シーンを思い出した。暴君やそれに似た立場の人が鳥を撃つのは、海外ではけっこう一般的なのかな)

おい!嫌な予感してたら、熊なんか撫でるな!死ぬぞ!
この旅行者、さすがに、無知すぎる・・・。
全ての動物はお前が可愛がるためだけに存在してるんじゃないんだぞ。

洞窟内の真っ暗な感じがいい、エッチング画みたい

どぅわー!勝手にやって来て、勝手に熊を連れてきて、農家2人(+羊飼い)を危険に晒すんじゃねー
大雨だけがデカすぎる熊を退散させた
やっぱ自然の力にはかなわねーよとかそういう感じ?

暴風雨の描写が凄いな、風によって雨が、天体の動きみたいに円を描いている
動かすの大変そう・・・
こんな時でもうごくのは力持ちの羊飼いだけなんだね、旅行者も銃バカスカ集団も迷惑かけたんだからちったぁ協力しろよ
夫婦はなんか受け入れてるぽいけど

羊飼いの家めちゃくちゃじゃん、一人だけ頑張ってたのに、可哀想だ。
いや、家そういう組み立て方してたの?また荒らしが来たら壊れない?
むしろ、壊れたらまた直すだけだから、別に頑丈に作らなくても良いのかな・・・
(沖縄の、台風が来る度に倒れてまた立ち上がるサトウキビみたいな)

貴族の猟銃、雨に濡れて不発。
人間の作った武器なんてそんなもんだよー大自然にはかなわないよーという意味かな
撃ったら種(飼料)出てくるし、鶏パクパクだし、雨と一緒に入っちゃった?
現実の悪意によって人を殺す寸前の武器も、こうなればいいのになぁ
(ラウル・セルヴ ェのアニメーション作品、クロモ・フォビアに似たシーンなかったっけ?と思い出した。あれも痛快。)

自宅でそれぞれ眠りにつく、農家夫婦と羊飼い、旅行者と貴族と視聴者にとっては、少しだけハラハラする展開ばかりだったけど、この三人と、それを取り巻く大自然の環境にとっては、いつもと同じくらいの営みに過ぎないのかも。

「The・village」と比べると、田舎に住む純朴な人達とその営みは尊いもので素晴らしく、都会や俗世や金に塗れた、旅行者、貴族たちの行動は厄介で思慮が欠けている、といった偏ったステレオタイプの描写に少し寄りすぎている感じがしたが、こういった表現の際に作者の、痛烈な批判(それもよくある)できる自分w みたいな痛々しさというか、嫌味な感じはしなかった
そういう自分の涎まみれの口の中でくちゃくちゃした思想をぶちまけたものがマジで無理なので、作品に組み込むならもう少し自我の匂いを消せ、と思う
この作品自体、丁寧に作られているからかな
逆に、農家夫婦の感情の起伏が全くなさそうな生活で、都会の人が抱くほど丁寧な暮らしなんてもんはないよ、どこに住もうが、生活は生活だよと言いたい、そんな面もある?
本当に、凄く淡々としている作品だった、視聴者は画面を通して、いろいろと思いながら夫婦の生活や、他の人の行動を見ているわけだけど、物理的な意味では、もしかしたら作中の周囲の森からの視点なのかな・・・